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高品質が当たり前の電力供給を見直す時期
2013/01/30(Wed) 文:(水)
新年早々所用があって1年半ぶりに北京に赴いた。昨年報道された中国の電力不足が気になったが、幸い滞在中は停電にはぶつからなかった。ただ夜8時過ぎると、道路沿いのネオンサインや企業広告などの照明がかなり落とされ、街全体に必要な明かるさが不足気味であった。
北京市民の電力利用は、日本のような誰でもスイッチ一つでいつでも使える方式とは違ってカード式システムだ。利用者は予め一定の金額が印されたカードを購入、それを自宅の配電盤に差し込み、購入価格に達するまで使う。金額の残がなくなると新たにカードを購入するが、たまたま金欠の場合は電気が使えなくなる。電気代も決して安くはないため、市民は絶えず節電に気を遣うし、マンションの共用スペース部分でもセンサーによる明暗の切換え技術が進んでいる。
わが国は昨年12月衆院総選挙の自民党圧勝を受け与野党が交代、自民党・公明党政権による新たな政策展開が次々と展開されつつある。民主党政権時代に仕掛りだった「脱原発依存」の具体化や、「電力システム改革」のまとめも焦眉の急だ。後者では、経済産業省の審議会がすでに電力小売り部門の全面自由化を打ち出し、送配電ネットワークの中立性確保のため、現在の電力会社から送配電部門を切り離す「発送電分離」という大改革に踏み切るかどうかが争点になっていた。
電力業界とは近い関係にある安倍政権の対応が注目されているが、1月に再開された審議会ではこれまでの検討の方向通りに法的分離による発送電分離を具体化する必要性がほぼ共通認識となった。ただ、電力業界は長引く原発停止による財務状況の深刻化やシステム改革には約3600億円の費用がかかることを指摘、企業体力のないこの時期に拙速な改革を進めることのリスクを訴えた。このほかにも自然エネルギー導入拡大に伴う系統整備費、既設原発での安全対策強化費用など、とにかく電気事業にはカネのかかる事案が山積している。
これらを考慮すると、日本の電気料金は今後間違いなく上がり続ける。電力改革の前提が、常に世界に類のない確実な供給(停電の少なさ)と高品質での供給義務となっているからでもある。この機会に、わが国でも中国のような需要家が主体的に電力利用を決めるシステムや、高品質から中品質供給に転換することを検討してはどうか。
経済対策はイノベーションによる雇用拡大に軸足を
2013/01/16(Wed) 文:(雄)
第2次安倍晋三内閣が2012年末に発足した。安倍氏は首相就任前から大胆な金融緩和、インフレターゲットなどの金融政策をさかんにアナウンスした。市場は反応し、円安が進み、日経平均株価は大納会に年初来最高値を付けた。1万円札をどんどん印刷すれば、円の価値が下がって円安が進み、輸入価格が高騰してインフレが加速するだろう。
一時的には景気浮揚のきっかけになるかもしれないが、こんな政策が長続きするだろうか。金融は経済の血液だが、血液だけが膨張して悲惨な結果を招くことはこの20年間に内外で多くの経験をした。大切なのは実体経済を立て直すことだ。実体経済が冷え込んだままではいくらお金をばらまいても国内には借り手がいない。
旧自民党政権はバブル崩壊後、有効な経済対策を打てず日本経済を衰退へ導いてしまった。バブル崩壊後の長期不況により、高度経済成長を支えたと思われていた終身雇用制や年功賃金、系列取引などの日本的経営を見直し、米国などの経営システム導入を急いだ。社員には成果主義が適用され、社員に占める非正規雇用の割合を拡大させた。だが現実には経済は成長せず、失業率は高止まりし、所得格差が広がって、購買力のある中間層が減少している。
中国などの新興工業国が経済成長しているのをみると、何をつくれば売れるかが分かっている場合は追いかける国のほうが有利だということではないか。したがってフロントランナーになったら、別の道を模索しなければならない。もともと経済成長は働きたいすべての人が働ける完全雇用ための手段である。完全雇用という目的のためにはワークシェアリングといった手段もあるが、一定の所得を得るにはある程度の経済成長は必要だろう。
では、フロントランナーにとって経済成長に必要な要素は何だろうか。それはイノベーションである。新技術の開発、新しいアイデア、既存技術の組み合わせにより、潜在的な需要を喚起する、あるいは人々が困っていることを解決するような産業を興すことである。
円をジャブジャブばらまくのではなく、こうしたイノベーションにより雇用を創出しようとするベンチャービジネスなどを見極め、的確に支援していくことが必要だと思う。安倍新内閣には、どうせ印刷する1万円札ならぜひとも有効に使っていただきたいとお願いしたい。
日本経済と生活の負の連鎖を断とう
2012/12/12(Wed) 文:(水)
衆院総選挙後は3年前に政権を奪取した民主党から自民党・公明党を中軸にした政権交代の可能性が高まっている。特に今回の選挙戦で目立ったのは、わが国の中長期的なエネルギー戦略をどう構築すべきかが論戦になり、新しい政党の離合集散にも「原子力発電の存続か廃止か」の選択が大きな影響を与えた点だ。原発の存廃を巡っては、新政権が誕生しても国民的な議論が続くことになる。一方、現政権が打ち出した「再生可能エネルギー開発・普及」に対しては各政党とも異論がなく、むしろ加速化させるべきという主張が多かった。
しかし、今の日本の経済社会にそうした体力が残っているかどうか。すでに指摘されているように、太陽光発電や風力発電の急速な拡大には広域送電網の容量アップや大型蓄電池の導入などに数兆円を要し、変動の激しい電源をカバーするための発電所建設も必要となる。それを今までのように大手の電力会社で対応できればよいが、既設原発の長引く停止により電力会社の経営状況は火の車だ。激しい選挙戦報道からあまり目立たなかったが、11月下旬に関西電力と九州電力が33年ぶりという料金値上げを経産省に認可申請、さらに来年2月頃までに東北電力や四国電力も続く見通しで、デフレ不況下の国内経済活動を直撃する。
こうした情況を「工業立国・日本存亡の最大危機」と、断言する経済官庁の中堅幹部がいる。
その見立ては、日本の貿易収支が原発停止→火力発電の稼働大幅増→化石燃料の輸入急増により2011年に31年ぶりという約2.6兆円の赤字、今年上期もその状況が続き2.9 兆円の赤字、年間ペースでは6兆円以上となる。輸出で稼ぎ頭の自動車や電気製品などでそのマイナス分を賄うのは不可能であり、「経済の負の連鎖」が始まりかねないという。負の連鎖とは、貿易立国としての元金消失→輸入化石燃料費用の支払い不能→国債価値の下落と消化コスト上昇→工業立国の衰退→再起は20〜30年は無理、という図式だ。
ではどうしたらよいか。批判を覚悟して言えば、厳格なチェックをしている原子力規制委員会が安全と判断した停止中原発を1日も早く再開させ、早急に日本経済の体力を回復させることである。
何よりも、良質の安定した電力供給を回復させて料金値上げを極力抑制、将来への投資が不可欠な再生エネ加速化のインフラ整備のための前提条件を整えるべきであろう。先日、突然起きた中央高速道・笹子トンネルの天井落下事故を見るまでもなく、世の中に「絶対安全」はあり得ず、いかなる価値を選択するかであり、そこには相対的な判断基準があって当然ではなかろうか。
国難をバネに新しい時代を切り開こう
2012/11/28(Wed) 文:(雄)
野田佳彦首相は11月16日に衆議院を解散した。総選挙は12 月4日に公示され、16日に投開票となる。各党とも総選挙に向けていっせいに走り出した。総選挙の争点は脱原発か原発継続かを中心とするエネルギー問題、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加問題、経済成長戦略、社会保障、領土問題など多岐にわたる。
今回の選挙の特徴は、既成の政党以外に民主党、自民党、公明党のなれ合いを許さないとする“第3極”として、多数の政党が乱立していることだ。90年代初頭以降の自民党政権が“失われた20年”から脱出できず、国民は3年前に民主党を選んだ。しかし東日本大震災・原発事故があったものの、結局、民主党も衰退に歯止めをかけることができなかった。このため2大政党の対抗軸を目指そうという動きだ。だが各党の主張は原発とTPPをとっても入り乱れている。原発継続・TPP交渉参加、原発継続・TPP交渉不参加、脱原発・TPP交渉参加、脱原発・TPP交渉不参加と、この二つの争点だけでも四つに分かれている。さらに不思議なのは重要な政策で意見が一致していない政党が合流を画策していることだ。政策と無関係にくっついたり離れたりしては、有権者はどこに投票したらいいのか。棄権を増やすだけではないだろうか。
歴史学者の板野潤治氏は著書「日本近代史」の中で、「政治指導者たちは、ちょうど昭和10年代初頭のように、四分五裂化して小物化している。『国難』に直面すれば、必ず『明治維新』が起こり、『戦後改革』が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観にすぎない」と記している。昭和10年代は二・二六事件が起こり、盧溝橋事件で日華事変が始まり、太平洋戦争へと軍部の暴走による破滅への道を歩んだのである。
自民党は政権公約「日本を、取り戻す。」で、「集団的自衛権の行使を可能にし、国家安全保障基本法を制定」「自衛隊の人員、装備、予算を拡充」「憲法改正により自衛隊を国防軍に位置付け」としている。なんだかきな臭くなってきた。「日本軍を、取り戻す。」にならないことを祈りたい。
戦後の焼け野原から立ち上がり経済大国を築いた日本だが、この20年、閉塞感が深まる中で3.11という国難に直面した。この状況をどのように克服して新しい時代を切り開くのかが問われている。有権者も歴史に学び、冷静に一票を投じなければならないということだろう。
日本の森林資源を今こそ活用しよう
2012/11/14(Wed) 文:(水)
日本にはエネルギー資源がないため輸入に頼らざるを得ず、それに必要な外貨を稼ぐのに自動車や家電などを輸出して貿易収支を黒字にする必要があるとよく言われる。ところが、最近の貿易収支は既設原発の停止に伴う天然ガス(LNG)等の輸入急増によって外貨が流出、数十年ぶりの赤字(国富流出)が続き、国内経済にも深刻な影響を及ぼす事態だ。
本当にわが国にはエネルギーなどに活用できる国産資源がないのか。実はあったのである。それもまだほとんど本格的に活用されていない全国にくまなく賦存している「森林資源」だ。いうまでもなく森林は国土保全や水源涵養の機能を持つ一方で、その樹木は木材資源として住宅や紙パルプ原料、バイオマス発電などにすでに利用されている。
ところが、その利用が担い手不足やコスト面の理由からほんの僅かでしかなく、多くの山林は荒れ放題で再生不能な地域も少なくないという。
日本の国土の約70%を森林が占めるが、戦後に農地解放など多くの社会改革が実施されたにも拘わらず、山林の所有形態だけは旧態依然の姿が残ったまま。近年は所有者の不明や山林ごとの境界が不明確という事例も相次ぎ、そうした実態が森林資源活用の大きな隘路にもなっているようだ。
そこで、民間企業として培った経営ノウハウと資金力を集中的に投入して、日本の森林資源を木材供給やエネルギーなどに最大限活用しようという動きを進めているのが三井物産グループだ。物産は戦前から森林の保護・育成に力を入れており、今でも国内で民間の人工林所有の第3位にあたる総面積約4.4ha( 国土面積の0.1%相当) の山林を所有する( 1位は王子製紙グループ)。そうした「三井物産の森」は北海道から九州まで74 ヵ所に散在、しかも単に所有するだけでなく、コストをかけて管理を徹底、森林認証の国際基準
として権威のある「FSC認証」をすべての山林で取得しているという。これをテコに、同社は樹齢約50 年経った樹木を中心に伐採、製材→木工品→パルプ原料→燃料利用等の上流〜下流まで一貫した「カスケード利用」という新しいビジネスを模索している。
原発停止により日本のエネルギー不足が現実化している今こそ、足下の森林資源の活用をコジェネ燃料や石炭混焼、ペレット燃料として全国的に展開する方策を編み出すべきではないか。
「知」をいち早く「富」につなぐシステムを
2012/10/31(Wed) 文:(山)
京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった。山中さんの業績は万能細胞(iPS細胞)の開発である。2006年にマウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入するだけで、生体を構成するさまざまな細胞をつくりだすことができると発表。07年にはヒトの皮膚細胞からiPS細胞をつくることに成功した。
万能細胞は神経や心臓などのさまざまな細胞をつくり出すことができる細胞である。
難病の再生医療、病気の原因解明や患者ごとに最適な薬の開発、副作用のチェックなどに有効と期待されている。世界の多くの研究者から相次いで研究成果が報告され、偽物が出るほど(?)iPS細胞は医学分野で最もホットな研究テーマの一つとなっている。
自然科学分野での日本人(米国籍含む)のノーベル賞受賞者は1949年の湯川秀樹教授から数え、山中さんを含めて17 人になった。湯川教授から20世紀後半の50年は5人だったが、00年からは13 年間に12人が受賞する快挙となった。
一方で、わが国経済はバブル崩壊後、20年にわたり低迷が続いている。それはモノづくりによって高度成長した成功体験から抜け出せていないことが一因である。経済のグローバル化が進み、新興国が同じモデルで追い上げてきている中で、変わらなければ成長は難しいと感じる。これからは研究に支えられた産業を主力にしていくことが、わが国の進む方向の一つではないだろうか。医学だけでなく、環境・エネルギー分野などでも同じことがいえる。
そのためには狭い分野を深く掘り進む基礎研究を重視し、それらを融合して新領域を切り開き、その成果を産業応用につなぎ、効率的なモノづくりを実現するといった多くの種類の研究人材をバランスよく育成することが重要だ。研究成果の実用化には何十年もかかるのだから、人々の潜在的ニーズを見通す研究者も必要だろう。
つまり、知恵を出して、それが富につながっていく社会を目指さなければならない。
「知」をすばやく「富」につなぐシステムを充実させることが、「知の大競争時代」といわれる21 世紀を勝ち抜くポイントである。それには多様で層の厚い研究人材が必要で、そのためには若者の理科離れ、理工系離れに歯止めをかけることが求められる。
振れ幅大きい温暖化対策と原発ゼロへの危惧
2012/10/18(Thu) 文:(水)
わずか2年前までは「環境先進国」として世界の地球温暖化対策のリーダー格だったわが国の対応が風前の灯となりつつある。政府が先月決めた「革新的エネルギー・環境戦略」では、鳩山由紀夫元首相が高らかに国際公約していた2020年に1990年のCO2等排出量比△25%とした削減目標を修正。2030年に概ね2割程度削減に後退、今年末の温暖化対策枠組み国際交渉においても、すでに事務局へ提出していた削減目標登録の見直しや京都議定書の第二約束期間への不参加など、目を覆うばかりだ。
国内のCO2等削減対策も急ブレーキがかかりつつある。前述のエネ環戦略方針に沿った新たな温暖化施策を環境省は年内にも策定する方針だが、京都議定書の第一約束期間が終了する今年度まで5年間のCO2排出削減目標義務(1990年排出量比△6%)を達成できない可能性が高いほか、そうした劣等生のままで来年から本格的に始まる次期枠組み交渉においても、受け身の姿勢のままだ。ところが皮肉なことに、今年10月から地球温暖化対策税(環境税)が施行、私たちが利用する電力・ガス・石油などにCO2の排出抑制を図る目的から一定額が課税され、それを原資とする再生可能エネルギー導入拡大のための予算措置が500 億円以上にのぼる。国民から見れば、環境保全のために税金を払っているのに、国内外では温暖化対策の相次ぐ後退が進むという割り切れない状況になっている。
もちろん、こうした温暖化対策の後退は未曾有の大被害となった昨年の東日本大震災と福島第一原発事故の後遺症であり、経済活動や電力供給の確保が環境対策よりも最優先にならざるを得ないという事情があることは容易に理解できる。しかし、わが国のエネルギー・環境政策の展開の基軸があまりにも振れすぎるのは、それ自体が大きな問題と言えよう。
例えば大震災前のエネルギー政策では、国内CO2削減方策の60%以上を原子力発電の稼働と新増設に依拠、さらに2030 年頃にはその原発の割合を2倍程度に引き上げCO2削減方策のエースとしていた。
それが今回、原発については「30 年代にゼロとするようにあらゆる政策資源を投入する」と180 度の方針転換となった。そして、CO2削減方策のエースは分散型エネすなわち再生可能エネ拡大となり、一種のバブル状況まで引き起こしているが、今後いつ振れ幅の大きいCO2削減対策や原発と同じ対応になるかもしれないと危惧してしまう。
再生可能エネの普及は期待ではなく必達目標
2012/10/04(Thu) 文:(山)
昔の話で恐縮だが、2009 年9月、当時の鳩山由紀夫首相は国連総会で「新しい日本政府は、温室効果ガスの削減目標として、90 年比で言えば20 年までに25%削減を目指すという非常に高い目標を掲げました」と演説した。09 年11 月には住宅用などの太陽光発電(PV)の余剰電力買取制度が始まった。
地球温暖化対策の「非常に高い目標」を実現するため、温室効果ガスを排出しない再生可能エネルギーへの期待が高まったのである。こうした状況の中で、私たちは再生可能エネの普及、関連産業の健全な発展を目指して専門誌の発行を企画し、10 年10 月1日に「時報PV+」を「週刊エネルギーと環境」の姉妹誌として創刊した。
それから半年もたたないうちに東北太平洋側が地震と津波に襲われた。同時に福島第一原子力発電所が炉心溶融事故を起こし、放射性物質を環境中に放出した。発電中に温室効果ガスを排出しない原発の事故により、再生可能エネへの期待が一層高まった。
この夏、政府はエネルギー・環境に関する選択肢を提示し、国民的議論を求めた。多くの国民が30 年に原発ゼロを支持する意見を表明した一方で、経済団体首脳らは原発なしでは経済が立ち行かないと原発維持を訴えた。エネルギー・環境会議は「30 年代に原発ゼロ」を打ち出したが、政府は閣議決定せず、あいまいな状態だ。
いずれにしても原発が発電電力量の30%近くを担うことは難しいだろう。再生可能エネの普及は期待ではなく必達目標となった。日本は化石燃料もウランも輸入に頼る。これらは長い目でみれば、枯渇する資源である。再生可能エネは“国産”で枯渇しない、使用済み燃料の処理も不要である。
どこの国にとっても究極のエネルギーである。問題はコスト。手ごろな値段で手に入れば、どこの国でもほしがるということだ。再生可能エネを中心としたスマートコミュニティなどを、日本が競争力のある産業として確立できれば、システム輸出も可能になるだろう。
原発ゼロへの痛みと困難さにどう向き合う
2012/09/12(Wed) 文:(水)
政府のエネルギー・環境会議は、民主党が今月6日に提言した「2030 年代に原発稼働ゼロを可能とする」を踏まえ、わが国が「原発ゼロ」を目指す方針を最終的に打ち出す。
締切りの関係で、その中身を見ることはできないが、いずれにしても大変なエネルギー政策の転換である。ただ、これはまもなく訪れるであろう「原発縮小」がもたらす大混乱の序章に過ぎないかもしれない。
その一つが青森県との関係である。同県はこれまで、政府が示してきた“ブレない原子力推進政策”を全面的に信頼、六ヶ所村を中心に核燃料サイクル路線の要である使用済燃料の再処理事業や高レベル放射性廃棄物の保管、中間貯蔵施設や東通原発の立地などに協力してきた。 1998年には「再処理事業の実施が著しく困難となった場合は使用済燃料を施設外への搬出を含め、速やかに適切な処置を講ずる」との約束文書を当時の大臣と交わしており、その履行を迫られることになろう。
履行とは何か。政府が一方的に約束を破ることになるならば、すでに再処理事業のために六ヶ所村に運び込まれた約2900 トンの使用済燃料や高レベル廃棄物等を元の搬出先に戻せ、という要求を同県が示すかもしれない。全国の原発から搬入された使用済燃料には核燃料税が課され、県にとって不可欠な財源となっており、そこまでの直接行動を起こすのは難しいとの見方もあるが、国の政策変更により青森県民が面子をつぶされた事実は極めて重い。
それだけではない。今回の政府方針や民主党提言では将来的な原発ゼロとともに既設原発の再稼働を前提にしている。しかし、青森県が搬入済み使用済燃料の戻しを要求し、かつ各原発サイトの使用済燃料の今後の搬入を拒否するとなれば、再稼働も覚束なくなりそれの処理処分をどうするかの問題に直面し大混乱も予想される。特に、東京電力と関西電力の原発貯蔵プール容量はこの3〜4年で満杯近くなるという状況もある。
原発ゼロ社会と大胆な再生可能エネ導入をセットにした今回の「エネルギー構造改革」は、一見するとバラ色の世界に見えるかもしれないが、その推進には数々の痛みと困難がつきまとう。日本と同様に、紆余曲折を経て2022 年末までの原発全面停止を昨年決めたドイツでさえ、10 年以上の歳月をかけ雇用や地域経済の問題などが議論され、そのつど政権交代にも影響を与えた。わが国においても自らの問題として再議論して欲しい。
暑い8月から、すがすがしい9月へ
2012/08/29(Wed) 文:(山)
ひたすら暑く、騒々しかった8月が去った。
ロンドン五輪では明け方までテレビ画面に映る日本選手の活躍にジーンとし、高校球児のプレーに涙した。広島、長崎の原爆犠牲者を慰霊する平和式典、そして終戦の日と涙腺が緩む日が続いた。今年は原発事故で立ち入りが制限されていた福島県で、震災後初めてお盆の墓参りをし、崩れた墓石を直すシーンにもホロリ。
恒例と言えばそれまでだが、この時期、アジアの隣国は大胆なパフォーマンスを見せてくれる。侵略された側の恨みは世代が変わっても失せないのだろう。しかし今年は韓国、中国とも政権末期の国内事情もあってのことなのだろう、尖閣諸島、竹島の領土問題を絡めて一段と激しいものがあった。
国内ではエネルギーと環境をめぐる議論が大詰めを迎えた。政府が提示した2030年の電源に占める原発比率は、討論型世論調査、意見聴取会、パブリックコメントのいずれも「0%」の支持が最も多かった。
毎週金曜日を中心に首相官邸前で抗議行動を続けている反原発の市民団体と野田佳彦首相が面会したが、平行線に終わった。またノーベル賞作家の大江健三郎さんらが脱原発の法律制定を目指すと会見。一方、産業界は原発なしでは経済が立ち行かない、雇用も減ると、そもそも三つの選択肢自体に否定的だ。本号の発行までに政府が判断を下せるのかどうかは不透明な状況だ。
この時期に写真や映像で目にする、空爆によって一面の焼け野原となった都市や沖縄戦の惨状には目を覆いたくなる。昨年、岩手県沿岸部にうかがった時の津波の被害が二重写しになる。私たちの祖父母、父母の世代は67年前の焼け野原から立ち上がって世界有数の豊かな国をつくりあげた。今度は豊かさを享受してきた私たちが子や孫の世代に恥ずかしくない世の中にしなくてはならない。
67年前は降伏を決められず先送りして広島、長崎に至った。そしていま、戦後の成功体験によりかかって、決めるべきことを先送りしてきた結果、“失われた20 年”を招いた。
大震災と津波、原発事故は私たちにパラダイムのシフトを迫っている。エネルギーのあり方はその大きな要素だ。どうシフトするかを私たち自身が決断できるよう、すがすがしく静かな9月であってほしい。
制度改革の最大挑戦者が電気事業者
2012/08/08(Wed) 文:(水)
福島原発事故の後処理に莫大な費用のかかる東京電力に対して、政府は先月末1兆円の資本注入を実施、戦後長く続いた9〜 10 社の電力体制において、日本最大の電力会社が初めて国有化されたこととなり、経済産業省が検討中の「電力システム改革」に拍車がかかるとみられる。
当初、資源エネルギー庁の幹部は「経営の抜本的刷新を迫られている東電改革はあくまで特殊ケースであり、政策的課題となっている電気事業制度の見直しとは別物」と語っていたが、現実には両者は密接不可分の形で進められていく。これまで官僚と五分に渡り合った東電という組織がその抵抗力を失ったほか、資本注入の前提となった東電改革のシナリオ「特別総合事業計画」では、発電・送配電・小売りの主要部門を社内カンパニー制に見直して明確な会計分離を実施、また発電部門の電源開発では、完全な入札制や他企業
との共同投資などが明記されていた。
先月、中間的にまとめられた「電力システム改革の基本方針」においても、東電改革との共通性が随所にみられ、地域独占や総括原価方式を撤廃することによる「小売りの全面自由化」、卸規制の撤廃と卸電力市場の大幅拡大による「発電の全面自由化」、そして運用の中立性と公平性徹底のための「発送電分離」も打ち出した。これらをどう実施するかの具体的な仕組みは、年末までに検討する予定の詳細制度設計において決まるが、このまま進めば間違いなく戦後最大の電気事業改革となりそうだ。
少し余談になるが、この基本方針の文章を書いたのは誰かということが関係者や委員会で話題になった。読んでもらえばすぐ気がつくが、「国民に開かれた電力システムを目指して」という副題にふさわしく、平易に国民に語りかける文体は分かりにくい表現の象徴として揶揄される「霞ヶ関文学」とは雲泥の違いがあった。どうやら作文者は課長補佐クラスではない幹部クラスと後で判明したが、それだけ今回の資エ庁の本気度を示したものとも言えそうだ。
基本方針のもう一つの特色は、電気事業者を制度改革の“抵抗勢力”ではなく、「最大のチャレンジャー」と位置づけ、その経験と技術と蓄積を日本再生の担い手として鼓舞していることだ。
エネルギーを選択する“暑い夏”が来た
2012/07/18(Wed) 文:(山)
リモコンを押せば、エアコンが動き、テレビが映る。ご飯もスイッチ一つで必要な時に炊き上がる。蛇口をひねれば、安全な飲み水が出る。トイレではボタンを押すだけで、排泄物を流してくれ、お尻まで洗ってくれる。風呂は温度と水位を設定するだけで、沸かすことができる。
あのころ、普通の家庭にはエアコンやテレビはなかった。水は共同井戸まで汲みにいった。トイレは臭うし、粗悪な紙でお尻を拭いていたので、どうも具合が悪かった。風呂をいっぱいにするには大変な労力が必要だった。沸かすのも火吹き竹で吹き付けながら薪を燃やした。江戸時代の話ではない。ついこの前、今の高齢者が子供のころに手伝いをさせられながら「こんなことができればいいな」と夢見ていていた世界が実現したのである。
技術の進歩と経済成長のおかげで、「夢」が「あたりまえ」になった。だが私たちは、あたりまえの世界が一瞬にして崩壊することを昨年、思い知らされた。大震災と原発事故により、電気などのエネルギーが途絶したのである。あたりまえの世界を支えていたのはエネルギーだったという、これまた、あたりまえの事実を突き付けられたのである。この夏も電力不足が続いている。各地で節電要請が始まった。原発比率が高いために不足が深刻な関西電力管内では大飯原発3号機が、福島第一原発の事故後、初の再稼働を果たした。政府のエネルギー・環境会議は2030年の電源構成に関する三つの選択肢として、電源の原発依存度0・再生可能エネルギー35%、同15%・同30%、同20〜25%・同25〜30%を提示した。また1日から再生可能エネルギーを飛躍的に増やすための固定価格買取制度が始まった。
昨夏はとにかく必死に節電した。そして今年は節電と同時に将来のエネルギーを考える夏になった。原発は再稼働しても大丈夫なのか、使用済み核燃料の処理・処分のめどや廃炉の費用ははっきりしない。地球温暖化を考えれば再生可能エネを増やしたいが、費用の負担がのしかかる。とても難問である。
でもエネルギーと環境は私たちだけでなく、子供や孫の世代に影響する問題である。子供や孫にいまさら昔の生活に戻れとは言えないし、激しい気候変動にさらすこともできない。他人任せにせずに、国民一人ひとりが真剣に考えて覚悟を決め、将来のエネルギーを選択しなければならない。暑い夏になりそうだ。
原発存廃めぐる“国民投票”の行方は?
◇ ※時報PV+38号の一考/再考を転載 ◇
2012/07/04(Wed) 文:水
政府の「エネルギー・環境会議」は今月、エネルギー供給源の割合や省エネルギー・節電の強度、さらには温暖化対策としてとるべき目標などを組合わせた選択肢案を国民に提示して、意見を幅広く聞く。いわゆるパブリックコメント(PC)といわれるものだが、これまで何百回と行われてきたものとはかなり趣が異なったものになりそうだ。場合によっては、前例のない100 万件以上の意見が押し寄せ、「原発の存廃」をめぐる事実上の「国民投票」になりかねないと心配する向きもある。
福島第一原発事故以来、わが国のエネルギー政策は右往左往を繰り返し、この夏も原発停止による電力の供給不足で大掛かりな節電対策を実施するほか、電力会社は燃料費の大幅増により経営が火の車、一流国の証明だった温暖化ガス排出削減も今や風前の灯だ。あれだけの原発事故を起こしたのだから、この2〜3年はエネルギー対策の揺籃期であり、再構築するのに時間がかかるということも分かる。しかし、それにしても野田内閣は「脱原発依存」を唱えるだ
けで、その先の具体的対応を全く示しておらず、「決められない政治」の典型になっている。
一方で、原発の継続をめぐる国民的な議論も大きな盛り上がりを見せている。東京都や大阪市を中心に続けられた原発廃止を求める条例制定の直接請求はいずれも議会で否決されたが、これには数十万の人々が署名した。要求は通らなかったが、運動団体は臆することなく活動を続けている。こうした原発廃止要求の活動だけではなく、「原発の一定程度を継続せよ」という真反対の運動も出てきた。筆者が6月22 日の午後5時頃、たまたま霞が関の首相官邸前を通りかかったときに、「昨夏は電気を使えないことから熱中症で3万人以上の人が致命傷を受けた。原発に関係する仕事もなくなり生活できない。原発廃止というきれいごとだけいうな」と、同じ頃にあった原発廃止を叫ぶデモに抗議していた。双方は一触即発という状況だったが、間に数十人の警察官が割って入り事なきを得たのだった。
こうした国民の間にある原発をめぐる二項対立や決められない政治に対する鬱積した不満を考えると、エネ環会議によるPCはむしろ時間をかけてでも徹底的に合意形成を目指したほうがよい。空前の100 万件の意見を出されたらどうするかという小手先の対処に拘るのではなく、民意を深く吸い上げる熟慮型意見集約方式などあらゆる方法を試してみてはどうか。その際に、大事なのは単なる原発是非だけではなく、覚悟の省エネとコストの高くなる再生エネルギーの選択なども総合的に問うことであろう。
再稼働には福島の失敗を生かせ!
◇ ※時報PV+37号の一考/再考を転載 ◇
2012/06/13(Wed) 文:(山)
野田佳彦首相は大飯原子力発電所3、4号機の再稼働を8日の記者会見で表明した。西川一誠福井県知事の「首相が国民に向けて表明せよ」との要求を飲んだもので、福島第一原発の過酷事故以来、初めての再稼働が事実上決まった。野田首相は会見で「原発を止めては日本の社会は立ち行かない」と動かさないリスクの方が大きいと判断したようだ。
再稼働の是非はともかくとして、この間の当事者の議論を聞いていると、奇妙な感じを禁じ得ない。大飯原発で発電した電気の消費地である関西の広域連合(7府県と大阪、堺の2市)や福井県と政府のやり取りをみていると、原発再稼働を地元への利益誘導や、総選挙に向けた政治的なゆさぶりの道具にしているのではないかと疑いたくなる。
再稼働の議論で最も重要な原発周辺住民の安全が抜け落ちていないだろうか。野田首相は「立地自治体への敬意と感謝」を表明、また「福島を襲ったような地震、津波でも事故を防止できる。全電源が失われる事態でも炉心損傷に至らない」とも語った。だが、どんなに安全対策を施しても事故が起きないとは断言できない。1万年に一度の確率でも、それが明日起きるかもしれないからだ。
もちろん考え得る限りの対策を講じて事故のリスクを最小限にすることはいうまでもないが、それは「考え得る限り」でしかない。再稼働するならば、万一の場合に住民が安全に避難し、放射能の恐怖におびえなくても済むような危機管理が必要だ。国会事故調査委員会も福島では「住民の健康と安全は顧みられなかった」と認定している。
例えば、事故の発生を住民に正確かつ迅速に周知する、脱出の手段や避難先をあらかじめ準備するといったことだ。住民が自家用車で避難すれば、渋滞で逃げ遅れることもあるだろう。
現場に向かう緊急自動車がある中で混乱は必至だ。車のない家や老人世帯はどうするのか。地元では説明しているのかもしれないが、国民全体に再稼働を納得させるには本来、こうした議論が求められるのではないだろうか。
原発は「トイレなきマンション」と揶揄されていた。使用済み核燃料の処理・処分のめどが立たないからである。これに加えて、火災報知機も非常口、避難経路もないマンションになってはならない。再稼働するなら、福島の失敗を生かさなければならない。
「発電所」を「総合エネルギー供給所」に
◇ ※時報PV+24号の一考/再考を転載 ◇
2011/11/02(Wed) 文:(水)
首相官邸のエネルギー・環境会議、原子力委員会による原子力政策新大綱づくり、さらには現行の原子力を主軸とした「エネルギー基本計画」の見直し作業が続けられている。年末までに、従来もっともコスト安といわれた原子力発電の経済性の再検討をはじめ各電源別のコスト試算が行われ、これに資源制約や地球温暖化対策からの要請を加味して、中長期的なわが国のエネルギー構成の方向性が示される。
そこでは野田首相らがこれまでたびたび表明してきたように「脱原発依存」と電力等の需要構造改革、そして再生可能エネルギーの加速的な導入拡大が打ち出されるのは間違いないとみられる。既設原発54 基+若干の新増設が容認されたとしても、原発の中長期的な割合は大きく低下、仮に高経年化40 年以上の既設原発の運転継続が困難になると、2030 年には原発の割合が20%以下になるという試算もある。現在、ベース電力供給量の過半を占める原発の代役をどのエネルギーが果たすかという見通しも立っていない。
そこで提案したい。今後のエネルギー供給拠点はこれまでのような電力・ガス・石油等といったエネルギー種別ではなく、電力・熱などを有機的に組み合わせた「総合エネルギー供給所」を検討してもらいたい。特に電力分野は、過去数十年にわたって原子力・火力・水力・再生可能エネなどのように全く別々の発電所として建設し運用してきた。そうしたやり方をこれからは「原子力+太陽光+風力」「火力+太陽光+風力+バイオマス」「水力+太陽光+風力」などのように立地条件に応じて様々な組み合わせがあっていい。既設地点をそうした形でスクラップ&ビルドすれば、従来の遊休地を最大限活用できるし(新規の土地手当ても不要?)、発電所に必要なインフラ関連設備も流用できる。
特に原子力発電所は新増設地点も含めてトライしてみる価値がありそうだ。原発は大半が広大な敷地を持っているにも拘らず、今後は「脱原発」政策により土地遊休化やインフラ施設などの一部未利用化が進む可能性が高い。一方で、今後のメガソーラー等の拡大では土地取得の制約や経済性の確保がネックといわれており、それら隘路を打開する方策になるかもしれない。
上記方式を具体化する最大の障害は何十にも細かく規定された過重な安全・保安規制といわれる。原発構内に生えてきたワラビ1本抜くにも法的な許可が必要というがんじがらめの規制の緩和が必須条件だが、大きな視野からの検討を望みたい。
創刊にあたって
◇ 時代を映す鏡の役割に全力 ◇
2010/09/30(Thu) 文:(水)
国民の多くの期待を担って民主党政権が発足しておよそ1年が過ぎ、9月17 日には菅直人首相の下で改造内閣がスタートしました。なんの因縁か、週刊「エネルギーと環境」の姉妹誌として、再生エネルギーの動向をくまなくウォッチする「時報PV+」も時を同じくして船出しました。
創刊の動機の一つは、民主党政権の象徴ともいうべき日本が掲げた「温室効果ガス2020 年25%削減」の行く末を見届けることにあります。25%削減目標を実現すれば、もちろん国民の暮らしがそれだけでハッピーになるわけではありませんが、今の経済社会の姿が革命的に変化するのは間違いないでしょう。
「PV+」がテーマとします太陽光・太陽熱・風力など再生可能エネルギーの導入・拡大はその25%削減方策の大黒柱であり、これから展開される政策と技術革新が失敗すれば世界から取り残されるでしょう。しかし、次期首相を決める先の民主党代表選では、政府と経済界で是非論が続く排出量取引制度や新エネルギーの買取制度などは、論争にもなりませんでした。国民に大きな負担を課すテーマにもかかわらずその説明をしようとしないのは、あまりに政治の無責任というほかありません。
「PV+」は単に太陽・風・水などがもたらすエネルギーを電気と熱に変換する産業・技術・制度・市場の動向をキャッチ・報道することに留まるのではなく、もう一つの役割として時の政治・行政・経済・社会の変遷を公正に映し出す「鏡」の役割を果たしていきたいと思っております。同時に、そうしたプレーヤーの息遣いが聞こえてくるような誌面に致したく、関係者の皆様の叱咤激励とご支援をよろしくお願いいたします。
「時報PV+」編集長 清水 文雄
参考リンク:http://www.enekan.net/image/kusakawa-giin-shukuji.pdf
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